「わかった❢」の先に必要なもの
2学期が始まり、運動会が近づいて中学生たちは慌ただしい毎日を送っています。
当塾では、夏の間にだいぶ先には(一応)進んだので、
いったん戻って復習!練習!練習!!がメインの授業になっています。
英語だと中1は、疑問詞、命令文。
中2は不定詞。
中3は疑問詞+ toと間接疑問文。
「人って忘れる生き物だなあ」ということを、つくづく痛感します。
中学生諸君をけなしているわけではありません。
想定内ではあります。
でも-大人は忘れがちですが-、何かルールのあるものを覚えて、それを血肉とすることは、本当に生易しいことではない・・・と改めて思うのです。
1回いい授業を聴いた。「へえ、なるほど」「面白いなあ」と思った。
それだけでは、残念だけど、何にもなりはしません。
だから私は、一度先に進んだ上で、なるべく何回も繰り返して各単元の授業をします。
何度も何度も同じ場所に色を塗りなおすがごとく。
しかし・・・それだけでは不十分なんですね。
基本だろうが、応用問題だろうが、受け身に「教わる」だけでは、何回やったって忘れるばかり。
2回目からは、自分の脳みそを使って、必要とあらば自分の力で調べて、自分の意志で焦って、という方向に導かないと、結局ダメみたいです。
どう圧をかけるか。どうやって焦らすか。
その方策をひたすらモニョモニョと考える今日この頃です。
