「ゲームで教育」への違和感。
何年か前
まだ小学低学年だった娘から、あるゲームの名前を知りました。
我が家では買い与えなかったので、
友だちの家にお邪魔するたびに
遊ばせていただいたようですが(ありがとうございます)、
色々な自然物がブロックのような形で転がっていて、
それを集めたり
加工したり
組み立てたりして
サバイバルなどを楽しむもののようでした。
娘からそのゲームの話を聞くたびに、
「あのな、
食い物はよぉ、
そんなボタンでポッと作れやしないんだぞー。
稲が実ったら刈らなきゃいけないし
刈ったら干して脱穀しなきゃいけないし
どこかに貯蔵しなきゃいけないし
そのたびに重いの運ばなきゃいけないし
汗かくし、暑いし。
わかるか~」
と混ぜっ返していたものです。
もちろん、冗談半分な芝居口調で。
だって、
たかが子どものゲームですから。
遊びですから。
ネタとしてツッコミを入れていただけです。
でも最近、そのゲームが教育にも取り入れられ始めていると聞きました。
「教育先進国」フィンランドでは
以前から1~9年生の必須になっているとかなんとか。
プログラミングのスキル
問題解決能力
集中力
創造力
生きる力
を養うものと評価され、
日本の一部の学校や自治体、塾でも導入されているとか。
うーむ。
キーボードをカチカチやれば
汗もかかずに
食べ物が「ボン!」と出てきちゃう
家が「ドン!」と建っちゃう
(不正確かもしれませんが・・・)
そんな感覚が
ますます次世代に強まってしまうのではないだろうか。
日本や世界の食料の問題
子どもの実体験(特に、体を動かすもの)の不足
自然環境問題
あるいは都市と地方の不均衡の問題
そういうことを考えると、
実体験の時間の方をこそ、
大人が意識して作らなければいけない
と僕は思うんですが、
時代遅れな感覚かなあ。
「学校はそういうことももっと取り入れろ」
と押し付けたいわけではないです。
学校の先生は
既に色々な業務で大変ですから!


日曜日は、私事で、趣味にすぎませんが、田んぼの稲刈りを家族総出でしました。
娘にもたくさん働いてもらいました!