「座ってりゃいい」メンタリティ
- orangejuku
- 2022年7月4日
- 読了時間: 2分
社会人になって、私もいっちょ前に、
意味の感じられない「会議」「研修」「研究会」「総会」等々に多々参加しました。
たぶん世の中にたくさんあるんじゃないかと思いますが・・・
定例・恒例だから、手続き・形式上必要だからってだけでやっているような会議。
もう大体は「事務局」とかで決めてあって、座ってりゃいいと言わんばかりの委員会。
一言も発言しない出席者。
講義を一時間聞いたからって、ブレインストーミングしたからって、
その後現場で何かに生かせましたか?という研修。
「議長団を選出します」「会計報告。収入・支出の順に読み上げます」
「閉会宣言」・・・不思議なお芝居みたいなのが続く総会。
「これでいいのかよ」と、もやもやしたり
しばしば怒りを感じたりしました。
最近は皆無といっていいほどそういう機会はなく済んでいますが。
コロナを機に、
そういう中身のない集まりが少しでも減るといいと思います(大きなお世話か)。
さて、うちの愛すべき下位層の子たちを見ていると、
塾の授業に来る(連れて来られる)その態度はおおむねとても素直です。
補習でも、指定すれば素直に来ます。
そのことは、まずは、いいことです。
来なければ、こっちは何もしてあげられないから。
「来てさえくれれば」それがこちらの最低要求ラインである、それは確かです。
(これらは皆、教師側の都合ではありますね。)
でも、「来て、座ってりゃいい」メンタリティを感じることしばしば。
学校でも、朝から晩まで、さっぱり分からない授業が続いているんだろうけど、
座ってりゃいい、と思うのは
「楽」だからでしょうね。
それはそれで人間の本性。
でもこれから世の中平和でも安泰でもない。
これでいいわきゃない。
私の授業でも、そんな彼ら彼女らを、もっと追い詰めて、脳みそ抉って、絞って、なおかつ楽しませていかないといけないな、と思います。

大人になって気づいたことがあります。「何かを知ることって楽しい。学ぶことって楽しい」と。座っているだけより、ずっと刺激的で面白いですよ。