「英語は早くからやらせておかないとねえ・・・」
という話、
周りでもよく聞くようになりました。
英語。
昔から日本人のコンプレックスを煽ってやまない英語、ですが
国際化のますますの進展
学習指導要領や共通テストの難化
もあいまって、
いっそう加熱しているようであります。
都市部(の一部?)では
幼稚園くらいから英会話教室が当たり前、
みたいな風潮もあるようですね。
幼稚園で英語の授業があるところも多いようですね。
「早期英語」のメリット(と考えられているもの)は
「耳が慣れる・英語耳ができる」
「英語というものにアレルギーがなくなる」
ということじゃないかと思います。
親世代とは違い、
英語を抵抗なく聴きとることができる
文章がすっと読める
会話がすらすら出てくる
そうなったらいいなあと。
僕もいまだに
英語でA4何枚もがびっしり埋まっているのを見ると一瞬ビビるし、
リスニングは弱点といっていいし、
ネイティブスピードで喋ることなんてできないしで、
その気持ちはよーくわかります。
「技能」は、大事です。
ネイティブ環境で自然に英語を身につけられた人、
うらやましいです!!!!!
しかし、
こと「学校での勉強」「テスト・入試」
という観点から
中学生・高校生を教える現場から
言わせてもらうと、
今小さい頃から身につけることが必要なのは、かじった程度の英会話能力(能力と言えるかどうかもあやしいです)よりも、「国語力」「文章力」だ!
と言わざるを得ません。
In areas with no school buildings,
を、
「学校の建物のない地域に、」
と訳し、「地域では」という日本語がどうしても出てこない子。
そりゃ、inの意味は「(~の中)に/で」だと、
教科書巻末の単語帳には載っていますけど・・・。
中学英語教科書で話のダシとなる
世界遺産
絶滅のおそれのある動物
人権
エネルギー問題
に関心も、それを聞いたこともない子。
そういう子が、
時間の認識
「時間」という言葉を聞くと、たぶんすぐに頭に浮かぶのは「時間」「分」「秒」だろう。しかし19世紀後半、哲学者アンリ・ベルグソンは、人々が時計で測られる(「時計の時間」)ようには時間を経験していないことを論じた。人は、知られている限り、時間を測るための生物的なメカニズムを持っておらず、かわりに心理的なプロセスを用いている。これが「心理的な時間」と呼ばれているものであり、人によって時の認識の仕方は異なっているのである。
もし宿題を終わらせるのにどれくらい時間がかかったかと聞かれたら、たぶん正確にはわからないだろう。思い返して、推測することになる。1975年の実験では、被験者は単純な、もしくは複雑な形を決まった時間の間見せられ、覚えるように言われた後、どれだけの時間その形を見ていたかを問われた。答えるために用いられるのは「レトロスペクティブ・タイミング」とよばれる心理的プロセスである。これは記憶から情報を取り戻して時間を推測することである。複雑な形を見せられた被験者は時間を長く感じた一方、単純な形を見せられた人は逆に感じた。
時間を測るためのもう一つのプロセスが、「プロスペクティブ・タイミング」である。これは人が何かをするときに積極的に時間を追跡しようとするために用いられる。量のある情報を思い出すかわりに、何かの活動をしているときにどれだけの意識を注いでいたか、を重視する。いくつかの研究では、被験者はタスクを与えられ、それを終わらせるまでに必要とした時間をきかれた。集中が求められる難しい心理的活動をした人には時間は、実際よりも短く感じられた。単純なタスクをした人には時間は長く感じられ、待たされただけまたは何も仕事が与えられなかった人には、時間は一番長く感じられる結果となった。
(略)
というような文章を読めるとは思えません。
ちなみにこれは今年の共通テストの一部です(拙訳)。
これは残酷な傾向でもあります。
英語を単純にガリ勉した努力が報われない
とも言えるのですから。
弊塾では
今のところ
小学生対象に英語の授業はやっていません。
かわりに国語の授業を行っています。
国語が大事(というか、英語どころじゃない)と考えて
以前からそうしているのですが、
そういった部分、
もっと強化していかないといけないのかも・・・。
今年の共通テスト(リーディング)の一部。A4にして実に全36枚です!
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