あるライターが、
「今の若者は本を読まないというけど、もし私が令和の若者だったら、私も本を読んでいたか自信がない」
ということを書いていました。
もちろん「令和の若者」に共感を示す趣旨で、それはいいと思うのですが、
ふっとこんなことも思いました。
そういう仮定はあり得ないのでは?
とくに、自分が「若者」になるという仮定は。
今、例えば「私」が、
今の歳のまま
戦国時代にワープしたなら?
という仮定のほうがまだ現実味(?)がある。
今ここにいる「私」は、
生まれたときから今の歳になるまで、
その年月の分の影響を受けてできあがっている。
例えば僕なら、
昭和の終わりに生まれ、
ネットのない時代に育った。
だから本はおそらく今の子より当然読んだ。
そうやって染みついているものをはぎ取って、
歳を戻して若くした「私」って、
「私」なんだろうか?
「玉ねぎの皮をむけるだけむいたら、何も残らない」
(そんな童話、ありましたよね?)
ようなものじゃないだろうか?
つまり、
もともと生まれながらに備わっている
本が好きか否かの才能なんてあるんだろうか?
・・・うまく言えている自信がありませんが、
人に生まれながらに備わっている特性・個性として、
例えば体の毛が濃いとか、
声の質とか、
そういうものは疑いようがありませんが、
何かへの好みとか思考回路とかについては、
相当部分が後天的なんじゃないか、
と思ったのです。
もちろん、
生まれながらの個性は誰にでもあるのであり、
モーツァルトとかアインシュタインの「天才」が実証する通り、
先天的なものがゼロとはいいませんが。
成育環境、時代の影響、出会い、本やメディアからの影響、自分が動いたことによって得られる人生経験・・・
いろいろなものが影響し積み重なって「私」ができています。
で、
「勉強」ということに関しては、
生まれながらの知能(脳みそ)なんてものの影響は、相当少ないはずなんじゃないかな、
と思ったのです。
その代わりに、
その年齢になるまでに積み重ねてきた人生経験の影響・蓄積は、
大きいと思います。
それは心しなければなりません。
でも、
「この子の脳みそは・・・」
と決めつけてはいけないよな、
教師として、親として、その子に関わるのなら、今からだってその子に影響を与えてあげられる可能性はある
そう信じたいよな、
と思った次第でした。
ちゃん、ちゃん♪
(飛躍ばかりの仮説でしたが💦)
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