はるか昔々、
古代ギリシアのソクラテスは、
色々な人と議論したり、教えたりするときに
相手の話した言葉をもとにして、
「質問」
を投げかけまくって、
相手が自分自身でわかるように導いていたそうですね。
「君は〇〇と今言ったけれど、
そもそも〇〇というのはなんだろうかね」
とか
「君は今〇×と言ったけれど、
そうすると、
〇〇〇なときには〇△が△△になる、
ということだろうか」
みたいに。
僕も昔ほんの少し読みかじったにすぎませんが。
ソクラテスが得意技としたこの教育法・対話法は
「産婆法」(産婆のように理解が相手の中から生まれるのを助けるから)
とか
「問答法」
とか呼ばれています。
さて現代。
ソクラテスを気取るわけではありませんが、
僕も似たようなことを、
とくに勉強に苦戦する子にはします。
滅茶苦茶
支離滅裂
あてずっぽう
としか言いようのない式で、答えを出して持ってくる子たち。
とくに小学生。
正直、指導者にとっては
ため息が出そうになったり、イラっとしたり
瞬間的にそんな気持ちになります。
でも、
子どもなりに頑張って考えたかもしれないんだから、
怒るわけにもいきません。
少なくとも、一概には。
そういうわけで
問答の始まりですww
「これ、300+60って書いてあるけど・・・説明してもらっていい?」
「待てよ、300っていうのはどこの体積のことを言っているのかな」
「えーっとね、実際に指でなぞってごらん」
「うん、そうしたら『同じものがたくさんある時』って何算を使うんだっけ?」
・・・
この
「説明してもらっていい?」
というセリフは、たぶん毎日口にします。
どんな言い方でもいいから、と。
たどたどしくても、
用語が多少変でも、
自分の口で説明できるくらい
「過程」をちゃんと理解しないと、
そこの単元は理解できないまま。
それどころか、
そのような理解の仕方をしていかないと、
その後もどんどん理解できなくなってしまいます。
AIには、(今のところ)
そのような指導はできない!
と僕は思います。(たぶん。)
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