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この地味~な勉強は世界につながっていると僕は信じる。

連日のパレスチナの惨状を伝える報道



昔一応イスラムを勉強した身



目が離せない、と言いたいところですが



正視できないものも多く、胸が痛みます。






他にも



戦争のニュース



気候災害のニュース



「なんという悲惨なことが起こってるんだ?」



思わざるをえないニュースがたくさん・・・。






・・・・・






20何年か前、



僕は「イラク戦争反対!」のデモに参加したりしていました。



「デモ」とかが一種盛り上がりを見せていた時代だったような気もします。





イスラムを勉強した自分にとっても、



「文化の多様性」を軽視し、偏見に任せて暴力をふるおうとする(と思えた)



アメリカのブッシュ政権(当時)は、まったく噴飯ものに映りました。



うー、青い(苦笑)





「教育基本法改正反対!」のデモなんてのに参加したこともあったかな。








結局そんなデモのかいもなく



イラク戦争は始まり、色々な法案は成立し




僕はといえば



自分の生活を守るのが大変になり



「政治」とか「デモ」とかどころではなくなりました。







社会の教員をやっていた頃は



まだ「政治」とか「世界情勢」を語ったこともありましたが、




教員をやめてからは、そういう話をする機会もなくなりました。





いや、機会のせいではありません。




僕自身、



そういう「大きなこと」を語るには



ふさわしくないと思うようになったからです。



僕は、です。





そして今に至ります。







「何もしていないのにカッコつけて善人ぶるな」



「祈っていて何かが変わるか?」



と言われてもしかたないでしょうし、



弁解するつもりもありません。






実際



弊塾では(というか僕の力量では)



悲しいかな



世界の最先端には縁がないし、



ソーシャルグッドな起業を教えることもできません。









でもね、





例えば昨日中2でやった合同の証明。



「これとこれが等しいという根拠は?」とか



「これは『二組の辺とその間の角がそれぞれ等しい』という条件にはあてはまらないのでは?」とか



細かくうるさくチェックしましたけど、






これは



証拠と理屈に基づいて正しく考える



という、



とても大事なことの練習じゃないですか?



そう、自覚して全力でやっています。









証拠や理屈に基づいて考えることがなければ、



思い込み



決めつけ



他人の指示



雰囲気



洗脳



そういうものによって動く人になっちゃうでしょう?





僕はそう思うんですが、



どうでしょうか?











英語と数学を教えることしか基本的に僕はできませんが、



その勉強を通して



地味だけど



地を這うように地味だけど



大事なことを教えているつもりです。








そういう子どもたちが



将来僕をはるかに超えるような



スケールの大きい人間になって




いや、僕なんかを超えられるのは当たり前でしょう、




それぞれの場で思いっきり活躍してくれたらな、



さらには世の中をよくしていってくれたらな、






と願いながら。


今日はジョン・レノンの命日でした。

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