どうしても怒りがわいてしまうとき。
- orangejuku
- 2023年2月24日
- 読了時間: 2分
私は生徒に「怒る」ということに対し、とても慎重にと心がけています。
そんなことえらっそうに言うな、と言われてしまうかもしれませんが、
理解が遅かったりミスが多かったりする子にイライラしてしまうのは、
これはその子に関わっている大人の人情だと思うんです。
でも、
本人は本人なりに頑張っていることが多いのです。
そんな状態なのに、
「わからなかった」「できなかった」ことで怒られる、イライラされる、バカにされる。
それはその子にとって理不尽以外の何物でもありません。
大人(教師)側のエゴでもあります。
そう反省して、なるべく怒らないようにしているし、そうなってきました。
それでも、どうしても
怒りというかイライラが沸いてしまうときがあります。
もちろん、イジメをしていたとか、みんなの邪魔をしたとかは論外です。
どういうわけでなんだろう、
と考えて、次のように思いました。
それは、(本人にそういう意識がなくても)
サボろうとしている、楽しようとしている、テキトーにやりすごそうとしている、あがこうとしていない・・・
そういう場合ではないかと。
そう思えたときには、正義の怒り?を発したくなってしまうのです。
「楽しようとしてんじゃねええええ!!!!」
「機械的にやるんじゃなーーーい!!!!」
「ちったぁ考えろおおおおお!!!!!」
と。
もちろん、そこで声を荒げるかどうかはまた全然別です。
言い聞かせてやればいいだけのことの方がほとんどでしょうから。
でも、お節介なことかもしれないのに、なぜ怒りがわくんだろう?
昔、
「ヤンキー先生」というあだ名で知られた義家弘介さんが、
こんなことを書いていました。
※今や政治家になった義家氏については、世の評価は分かれるでしょうが、20代のころの私は「スゴイ先生だ・・・」と思っていたのです。
「正直な生徒をつかまえて『それでは社会で通用しないぞ!』と怒る教師はいない。一生懸命努力している生徒を『少し手抜きを覚えておけ!』と叱りつける教師もいない。
怒られるのは、狡猾に立ち回った人間、ウソをついた人間、悪事を知りながら見て見ぬふりをした人間だ。教師が彼らを厳しく叱るのは、『そのままでは社会で通用しないから』ではないだろう。『そんな人間ではなく、こういう人間になってほしい』という『期待』があるからこそ、教師は『そのままではダメだ』と生徒を怒るのだ。」
うん、なんかそんな気もします。
うまく言えませんが、そこは教師として譲れない気がします。

(引用出典:義家弘介『ヤンキー先生の教育改革』2005)
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