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勉強は、わかるとたのしい

小学生の算数の授業にて。

こんな文章題がありました。


「袋の中にたくさんお菓子があります。かずきさんが一皿に6個ずつお菓子を配っていったら、9皿分できて、袋の中に2個余りました。このお菓子全部を、一皿7個ずつで配りなおすと、何皿分になりますか。」


さあてAさんどうするか・・・見ていると、

「2÷6+9・・・」とかもう無茶苦茶。

「どーしてそーなるん?」とか聞いても無駄。

こーれは、理屈でいくら説明しても無駄っ!

と思い、

「よし、Aさん、起立!今からかずきさんがやったことを、書いてある通りに演技してみよう」

と頼みました。

立って、「一皿6個ずつぅ・・・」とか言いながらエアーお菓子配りをするAさん。

はい、配り終わりました。2個まだ袋の中にありますー。

「ほんで?」

「・・・お菓子をお皿から取って、」と袋に掻き入れるAさん。よーし!

「でしょ、でしょ?全部また集めるんだよね。

それで配りなおすんだよね!

ところでさ、疑問なんだけどさ、お菓子って一体何個あるの?」

「・・・」

「書いてないよね。でも計算でわかると思うんだ。うん、計算してみよう」

ということで椅子に座ってもらい、問題用紙に向かってもらいました。


しかし・・・なかなか式が書けないかわりに、指でなにやら数えてると思ったら、突然「56」と書くAさん。

「・・・うーんと、Aさん、計算なしでなんで56個、ってなったのかな?」

「6個が9皿だから、6たす6たす6たすって9回やって54で、余りが2個あるから、全部で56個」

「OK、間違ってないよ。でもさ、同じものを何回も足すときって、何算を使うんだっけ?」

「かけ算」

「だよね。だからこれは6×9して、2を足せばいいんだよね」

「あー」

・・・という感じで、答えを出すことができました。


「勉強は抽象的なもので、『具体』にたっぷり触れた子こそが、勉強の世界を具体的なものと結び付けて理解していくことができる」

「勉強ができなくなる子は、頭が悪いのではなくて、『具体』が入っていないのである」

ある個人塾の塾長がそんなことを言っていました。

私も同感です。

そんな子、そうなりかけている子に必要なのは、

慣れが解決手段だろうと問題を山のように投下することでも、

理を尽くして懇切丁寧に説明することでもありません。

「具体」と結び付けながら、じーっくり頭を使ってもらうこと。

そうやって問題を解いていく子どもたちは、結構「楽し」そうに見えるのです。



 
 
 

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