勉強は楽しいものか、必要なものか。
子どもに勉強をするように仕向けるのに、主に2つの言い方があると思います。
①勉強は(学問は)どれも楽しく有意義なものなのだよ。という言い方。
②勉強は、(学歴)社会で上昇するために必要なんだ、四の五の言わずにやれ。という言い方。
どちらもまあ、正しいとは思います。
私は、どちらかというと、社会科の教員時代から①寄りでした。
アカデミック寄りな考え方ですね。
今学んでいる勉強は、どれも人類の積み重ねてきた英知の一部であり、これを追体験することで教養や生きる力を得ることができる、みたいな。
それは全くその通りでしょう。
自分もそう熱弁をふるっていたことがありました(今になっては恥ずかしいです)。
でも・・・
自分にだって不得意な科目はたくさんありました。
誰もが、中学生とかの時点で、
すべての教科・学問をハマるぐらい好きになれるかというと、それは難しいんじゃないかと思えます。
②は、これはまたこれで本質を突いているとは思います。
勉強の中身よりも、やらなければならないときにしっかりやったという実績が大事なんだ。
学歴で生涯年収は〇倍になるんだ。こき使われて生きるか、こき使われずに自己実現して生きるか、残酷だが大きく分かれるんだ。
人は誰だって、必要と思ったなら好き嫌い関係なくやるだろう。
とにかくやれ!!量こなせ・・・と。
ただ、そんじょそこらの中学生が、特に勉強の苦手な中学生が、
「必要」という言葉に、有無を言わさないほどの切実な説得力を感じるかどうか、それも疑問です。
将来のことなんか想像できないのが普通だし、
大人だって、自分の考えている(将来の)「社会」なるものが、本当に正しいのか、疑わしいです。
大体、殺伐としすぎです。
やはり自分は、日々忙しい中わざわざ自由時間を削ってやってくる子どもたちに、少しでも「楽しい」一期一会の時間を過ごしてほしいと思います。
何もアカデミックな「楽しさ」でなく。
理屈は無力。
「有意義さ」とか「必要さ」を説いても、結局押し売りみたいになっちゃうと思うんです。
くだらない、しょうもないこと。それが実は前向きに「生きる力」の源(もちろん、勉強をやる力の源です。私も商売なので当然そこに結び付けたいのです!)になるものじゃないかなー、と最近思うんです。
