僕はあまり怒らない教師だけれど、
いや、歳を経て
大体のことには怒らない教師になってきたけど、
いい加減
考えない
あてずっぽう
そんな状態で問題に向き合う子、
いや、
そのような行為に対しては
怒りが沸いて隠すことができない。
例えば算数の文章題。
考えることができないからといって
あてずっぽうに数字をかけ算だか足し算だかして持ってきた子に
「これ、なんでこういうやり方になった?説明してみろ」
「あてずっぽうでやるんじゃない」
とよく言うけど、
そのときの僕の
怒りの圧は
その子だけじゃなくて
周りの子たちにも伝わっていると思う。
まあ、
やり方がわからない、
いや、もっと正確に言えば
(「やり方を教えればいい」のではない。それでは、「なんでこのやり方になるのか」を頭を使って考えなくなる)
どういう風に考えればいいかの思考回路(その経験と言うべきか)がその子に(まだ十分に)備わっていない
のだから仕方がないとはいえる。
無茶苦茶な回答でも僕のところに持ってきたのである。
そうやって行動した意志
行動力を挫くべきではなかろう。
そうも考える。
だから僕ももっと自重しなければ、とは思う。
どうしてもダメだと思うのは
「いい加減でもいーだろー」
「よくわかんないけど通過できればOKだろー」
という
習性
思考パターン
が染みついてしまうことだ。
まさに思考放棄。
まさに思考停止。
これだけは
なんとしてでも阻止しなければならない。
そう僕は考える。
ときには心を鬼にして。
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