例えば、
国語における「重文」と「複文」の違いについて、
まあ、この名称はどうでもよいのですが、「重文」とは、下の写真のホワイトボードにいくつか書かれた例文のような文のことです、
テキストを読んでも丁寧に説明しても全然ピンと来ず、こういう場合はいくら言葉を尽くそうともわからないものなので、ちょっとyouが考えてみてくれ、なんか思いついたら説明してくれ、と言い渡したところ、テキトーな言葉を苦し紛れに並べてよくわからない「説明」を繰り出すので、「カモーン?自分の言葉で説明するんだ!」と圧をかけ、ふっと思いついてこういうのが「重文」だという例をたくさん示し、「これらの文って、どういう文だ?」「どんな言葉でもいいから自分の言葉で言ってみろ!」とまた圧をかけ、「2つの話が・・・」とかつぶやいたのをすかさず拾って「そうそう、2つの話があるよなー!2つの話が・・・どんな感じに一つの文に入ってる?」と問い、またしばらく考えた末にその子が
「おんなじような感じで並んでる」
という言葉を絞り出したときには僕は
もう、感動
以外の何ものでもなく、
膝を叩いたり吠えたり体を折り曲げたりするほど
嬉しいです。
「重文」「複文」という知識が問題なのではありません。
「文にこのような構造のものがある」
という概念を自分の中でくっきりとつかめた、
言語化できた、
それも借り物の言葉でなく自分の言葉で言語化できた、
それが大事で、
それが嬉しかったわけです。
Great job!
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