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教育は強制か主体性尊重か。

昔、町の消防団に入ったとき、



新人の訓練というのがあり、



自衛隊の方も数名、指導にこられました。




そのときに自衛隊の方が



「これからぁ、〇時まで教育を行います。その後・・・」



とかと話していて、



おやっと思いました。





「教育」という言葉の耳慣れない使い方。



そこでは「訓練」と同義で使われていたのですね。







「教育」は



強制であるべきか



子どもの主体的な行為であるべきか



そんな論争がときどき起こります。








大きく見れば



強制



だと思います。



(早くも結論!)








「教」という漢字を調べると



右のつくりの部分は「ムチ」を表し、



「ボクッ」というムチの音をも表している、などと出てきます。





いやはや、



今でいえば「体罰」の描写ですなw






日本漢字検定協会のホームページ(漢字ペディア)にはずばり、



「会意形声。(中略)強制してならわせる意を表す」



とあります。







まあそうでしょうね。




大人世代



これまで積み上げられてきた生きる知恵や人類の英知を、



後代に引き継いでもらうために行うのが



教育



と呼ばれるのでしょうね。






ちゃんとマスターしてもらわないと



子どもが



社会が



困る。






だから



子どもの意思✨とかじゃなくて、



大人側から



ときに有無を言わせず叩き込む。





それが



「教育の本義」



だと思います。








ならば



「よーし!ほら見ろ。甘っちょろいことを言ってんじゃねーぞ。強制と言われようが詰め込みと言われようが、ガンガンストロングに叩き込んでいくぞ。ヒャッハー!」



となるかというと、




それはまた



「思考停止」



というものでしょう。







だって、



強制するのなら、



納得できる必要性



(↑先生から楽しさが伝わってくる、ということを含みます)



がないと。






納得できていないものに



人は一生懸命になれないし、



パフォーマンスも上がらないのです。









教員時代に社会や世界史を教えていたときに、



まあ、社会というのは暗記が多くて



つまらなくなりがちなわけです。




ヤンチャな子が多い環境だと、



なかなか授業もうまくいかなかったわけです。




僕も



「崩壊」



とか嫌だったので、



必死に必死に考えました。







一番考えたことは、



話術のテクニックでも



ネタでもなくて、



もっと根幹だと思ったのは、






毎回の授業で



「何を伝えたいか」



でした。






「これを俺は今日伝えたいんだ。ここは大事だから知ってほしいんだ。だから聴けぇーっ!!!」



というものが(一つでいい)



なかったら、



生徒に強く出ることもできやしない、



そう思ったのです。







・・・・・







まあ、



話があちこち飛んでしまいましたが、



これは僕の考え方なので、



色々な「教育」観があっていいと思います♪






全国で公立高校の入試が始まりました。



今日は東京都や埼玉県などの入試だそうです。



がんばれ受験生!



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