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根性がすべてじゃない

石川県かほく市に、本楽寺というお寺が経営する学習塾があるそうです。

この塾の塾長さん(=和尚さん?)が、いいことを言っています。

(↓↓)


「小さいころから徹底的にやっておきたいのが、(中略)『具体』に触れるということです」

「勉強は抽象的なものですので、理解できない・応用が利かないということは、頭が悪いのではなく、具体が入っていないのです」

「プリントをたくさんやったり、問題集を解いたりするのは、具体にたっぷり触れた後の子がすることです」


・・・・・


その通りだと私も思います。

国語や算数の文章題でトンチンカンな答えを出す子たち。

計算問題ならまあ解けるけれど問題の意味がよくわかっていない生徒たち。

そのような愛すべき生徒たちが行き詰まる場面に接すると、

長時間座らせて機械的にドバドバ問題を与える根性論で指導しても、今後何もよくならないことがおのずと察せられます。

行き詰まるたびに、私は、具体的な想像ができそうなところに話を落とし込み、自分で答えが出せるまで待ちます。(私がしびれを切らして答えを言ってしまったら、すべて台無しです。)

私  :「『食べる終わる』って、変でしょ?何ていう?」

Aさん:「たべおわる」

私  :「そうそうそう!!じゃあその問題はさ・・・・」


勉強は基本的にはしんどいもの。

確かに当塾も、(とくに中学生以上には)「きれいごとで成績は向上しない」「量をこなせ!」という方針を採っています。

でも、国語の文章題でも数学でも理科でも、

具体的な想像(←うまく表現できませんが)ができる頭になって勉強に臨めるようになれば、しんどさの度合いはうんと減り、楽しくさえなると思うのです。

しんどくない、というわけにはいきません。

でも、何が何だかさっぱりわからないものを100個覚えろ、なんていう根性論はやはり間違っていると思うのです。


小学生のAさんとは、勉強(主に学校の宿題)が終わって時間が余ったときには、絵本を一緒に読んでいます。

1ページずつ交代で、今は『ひとまねこざる』(おさるのジョージですね)を読んでいます。

本を読むときはやはり楽しそうです。


 
 
 

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