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私は君たちに理屈という武器を配りたい。

うんと昔、私は


大学の文学部史学科というところに在籍していました。


歴史を学ぶ学科です。


歴史、というと、「ロマン」とか「ドラマ」あるいは「丸暗記」(笑)とかいうイメージが強いでしょうが、


史学科の学生として、私たちに課せられていたことはイメージとはだいぶ違いました。




ゴールは卒業論文。


曲がりなりにも学術論文の体裁のものを一本仕上げること。


その過程でやることは、一にも二にも「史料批判」。


一から十まで屈の嵐。


題材としたAという史料は、信ぴょう性があるものなのか。


史料Aをちゃんと読み込めているか(外国語ならなおさら)。


史料Aから、自分が書いたような仮説が論理的にいって成り立ちうるか。


自分の展開している主張は、どこに根拠があるのか。


・・・


教授たちにはずいぶんいじめられました。


「その出典はどこ?」などと。

(中間発表のときにそれを詰められて泣き出してしまう女の子もいました。)


でも、文系なりに、


的な考え方というものを学ぶ場になった、気はしています。




今は情報氾濫、フェイクニュース真っ盛りの時代。


私にもネットを通じて、


「ワクチンは有毒だとイギリスの学会誌に掲載」


「ゲームをやっている子どもの方が集中力が強まるとアメリカの学会誌が発表」


「スペイン風邪はマスクのせいで広まったと大正時代の医師は述べていた」


といった記事のリンクを載せたり送ってきたりする人がいます。


サムネイルのところにちらっと英語とか大正時代っぽい古い写真とかが見えたりして。


私なら、そこをクリックして、遡れるだけ遡ってみます。


それで、


「学会誌というには値しないよくわからないメディアのようだ」とか、


「大正時代っていうけど、この文、全部現代仮名遣いじゃん(笑)」とか、


できる限りの範囲ですが、判断を下すことができます。


史学科で学べたことかな?と思っています。





ひるがえって、中学・高校の勉強でも、



英語で文を作る時の語順の


数学で証明を書く時の、全編これ屈の、一連の流れ



国語も、社会も、科は言うに及ばず、


究極のところは、


屈で、論的に、物事を考えるための訓練だと思います。



「人間は(世の中)は、そんなよう、すべてが屈で合的に動くものじゃねえんだよ」?

「本当に大事なものは情(感性)だよ」?


そうかもしれません。


でも、人間が合的に動かないなら、


それにもやはり由があるのでしょうね。





今、私たちの前には、地球環境問題など


人間のちっぽけな情やら伝統やらしがらみやらを超えた、大きな問題があります。


私が授業で鍛えようとしている「屈」「論的な考え方」「性」が、


そういうものを解決に向かわせる一つの力になってくれないかな、


いささか大げさな話ですが、


そう願っているのです。



さあ、今日は中2数学、「合同の証明」をがんばろう!


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