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言葉の限界

「『死ぬ』ってどういうこと?」



うんと小さい弟とか妹、子どもとかに



と聞かれて



「う~ん・・・」となったことはありませんか?






どう説明したらいいものやら、と。






「生命を失うこと。呼吸や脈が止まること」



などと辞書には書いてありますが、



それで子どもがわかるはずもありませんね。






やがて



子どもも意味が(説明はできなくても)わかって



そんなことを聞かなくはなりますが。








僕ら教師は、



「言葉」を商売道具に生きています。





日々、「説明」をして生きています。





子どもたちにもよく「説明」をさせます。





頭の中に



ボヤーっとある



だけでは確かな理解とはいえない。



自分の言葉で「説明」できてこそホンモノの理解。



拙くても、



自分の言葉で「説明」しようとすることが大事だよ。




そういうことは言い続けています。








大人の世界でもよく言いますよね、



「言語化」と。




言語化されて初めて



森羅万象は思考の対象になるのだと。



世界は言語でできているのだ、と。









でも、




物事を理解するうえで、




「言葉」「言語化」にも限界はあると思うんです。







まずそもそも、頭(感覚?)の中に



ボヤーっとしたもの



がないと、



言語化もへったくれもありません。









その


ボヤーっとしたもの



が存在しない子に



理屈と言語でいくら説明を尽くしても、



「?????」であり、



まあ、どんどん勉強にはついていけなくなります。





ボヤーっとしたもの



の方が先だ。








小学生の算数で



苦戦する子を見ながら、



そんなことを思いました。





そういう子には



いくら説明を重ねても意味がなくて、



絵を描いたりうんと簡単な数字を使ったりして



「こういうことか」と実感してもらうところから始めるほかはありません。









「言語化したものを先にガンガン与えちゃえば中身は後からついてくる」





どうかなあ?







言語化する前の



ボヤーっとしたもの



がたくさんある子(人)の方が、



物事を生き生きと理解できて、



説得力のある言葉をたくさん紡げるんじゃないだろうか、



と僕は思います。


ちなみに僕は、「『死ぬ』ってどういうこと?」と子どもらに聞かれたときは、テキトーなくだらないことを答えてはぐらかしていました。

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