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1999年夏

大学生だった私はシリアにいました。


次の年の春休みもシリア、レバノンに行き、


ついでに北上してトルコにも行きました。



イスラム圏・アラブ圏の中でシリア、レバノンに興味を持ち、


その地域の近現代史を専攻対象として選んだためです。



当時シリアはまことに平和な国で、


それは独裁政権ががっちり機能していたからではありますが、


所詮旅人ですが、


楽しい記憶しかありません。


食事が美味しかったこと、街の人々がやたらと人懐こく親切だったこと・・・





時は流れて


「イスラム」といえば「テロ」とイコールのイメージになり、


(今やそれすらも忘れ去られ多くの日本の人々にとっては「無」も同然ですね)



シリアは内戦の国となり、


今度は大地震で多くの被害者を出してニュースに載ることになりました。





自分とか自分のまわりの多くの人と、価値観とか行動パターンが違う人や集団に対して


「なんか事情があるんだろう」


と想像してみる習慣がついたのは、


イスラム圏のことを勉強したせいも、


少しあるのかなあと思います。


(社会に出て揉まれた影響の方がおそらく大きいですが。)






と同時に、


宗教


歴史


文化


主義思想


理念


いま人間にとって本当に大事な、尊いのはそういうものではなくて、



パキスタンの洪水とか、アフガニスタンの干ばつとか、今のシリア・トルコの被災地の窮状とか、


あるいは世界各国の気候変動や貧困にさらされている地域、


そういう現場の「今」を救うための活動だよな、


コロナ後でもあるためか、そんなことを思います。




それは圧倒的に理系の、


あるいは理系の発想をする方々の働きが求められるところで(おそらく)、


私も理系だったらよかったなあ、


とか思ったりします。




歴史的背景がどうとかこうとか、


国際関係がどうとかこうとか、


そんな御託を言っていないで、救助が進んでほしいと願うばかりです。



「願う」、なんともカッコ悪いですね・・・。



私にできることは、


変なものにとらわれず理性的な考えと行動のできる子を育てること、


寄付をすること、


かな。




塾に関係のない昔話でございました。


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