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勉強とは

僕は昔から歴史が好きでした。



歴史上のいろいろなエピソードや人間物語に胸を熱くし



先人が残した芸術作品とか思想とかに感動してきました。



もちろん、人間の愚かさもうかがい知ることができました。




そんなわけで歴史や社会の勉強は一番でき、



教員になってからも



「歴史はおもしろいんだよ」


(歴史を学ぶことは「役に立つ」「大事」という側面もあります。でも、「おもしろい」という方を、より伝えたいと思っていました。)



ということをなんとか伝えようと頑張りました。





うまくやれたかどうか、まったく定かではありませんが・・・。






一方で僕は高校生になるあたりから



音楽というのが好きになりました。




メロディー、リズム、ビート、ハーモニー、



楽器の音や人の声の魅力



メッセージ



好きな者どうしの連帯感



若き日のジョンとポール(←ビートルズの、です)の物語



そういうものに胸を熱くしました。



自分も少しだけ、「演る側」に回ることができ、楽しんできました。





僕にとって、



「歴史」と「音楽」、



大事さに違いはまったくありません。


(なんなら、音楽の方が大事かもしれません笑)





僕にとっての音楽は、



人によって



スポーツ



ダンス



将棋



囲碁



YouTube



アート



ゲーム



製作



IT



仕事



・・・



いろいろでしょう。






そのように世界にはいろいろ素晴らしいものがある中で、



国語・社会・数学・理科・英語



のいわゆる「勉強」は、




たまたま、



なぜかわからないけれど、



伝統的に、「特に大事なもの」とされ、



世界のほとんどの国で国家のお墨付きを得、



国民の義務(強制)となっているもの




実のところはそんなものなのではないでしょうか。



僕はそう思っています。




特権的地位を得ている、



と言ってもいいかもしれません。






教科によって多少性質の違いはあって、



例えば多くの人は、国語と算数はやはり大事だろうと思うと思いますが、



細かくみたとき



「一次関数」がほんとうに誰しもが学ばなければならないものなのかは、



定かではありません。



学習指導要領が変われば教科書から消えてしまうものです。





だから僕は



本質的に、国社数理英の勉強が、スポーツや音楽や技術に比べて特別に大事で、



なにやら崇高なものだとは、思っていません。





でも、



スポーツや音楽その他の技芸がすばらしいのと同等に、



どの教科(というか学問)も、すばらしいものなのです。



人間の英知の結晶ですからね。







え、そんなこと思ってない(笑)?



学問の面白さなんかどうでもいい?



点取れて先に行ければいい?






失礼、退屈な話でしたね(笑)。



うん、



それは大いにアリです!








ただ、



それならそれで、それなりの覚悟は要りますよ。





勉強も、スポーツと同じです。



毎回の練習にきっちり来ない人が、うまくなりますか?



コーチの話をしっかり聴いていない子が、うまくなりますか?



自分から食いついていかない子が、活躍できるようになりますか?




生活が乱れている子が、丈夫な体になりますか?






勉強も、スポーツと同じです。




なのに、



国家が大盤振る舞いして無償にしているから




やる気があろうとなかろうと



ボケーっとしていても



まるで



あーんと開けた口に餌を運んでもらえるように



誰だっていいものをもらえちゃうと、



それが当然だと、



僕ら勘違いしてしまうんですよね。




ダンスやスポーツで考えたら



そんなはずはないとわかるのに・・・。



 
 
 

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