9.11
先週の金曜日、9月11日は、「9.11」。
「アメリカ同時多発テロ事件」
の25周年だった。
イスラム世界、アラブ近現代史なんてのを学んで大学を卒業したばかりの僕を、
「イスラムという宗教の寛容性」
「イスラム世界での様々な宗教や民族の共生」
そんなことを呑気に(?)議論していた僕を、
その事件はドカーンと揺さぶった。
なんと言ったらいいのかわからなかった(誰も僕に解説など求めていなかったが)。
世界中の人々が唖然として言葉を失っていたわけだけれど。
次には色々な人が色々に評論し始めた。
「3000年続く宗教対立だ。一神教の不寛容だ」
「いや、イスラムは本当は愛と寛容を説く宗教だ」
「結局のところ石油だ」
・・・
一言で言われると(あるいは自分自身「わかりやすく」説明しようとすると)、どうもどれも
なんとも
納得がいかない感が残った。
間もなく僕は社会科教員として働き始めた。
世界史で、
「イスラム」を教えるときには
自分の「専門」だ、とか思って張り切った。
しかし・・・
エジプト育ちの文筆家である師岡カリーマさんが、
新聞のコラムでこんなことを書いていた。
(どうでもいいがカリーマ先生には、学生時代、学会、の確か打ち上げの席でお目にかかったことがある。失礼ながら、「先生」なのにずいぶん若くてかわいらしい方だなぁ、とか思った。どうでもいい話だが。)
「『テロ』『厳しい宗教』『石油』といった固定観念を切り崩し、ステレオタイプから学生を解放するのはやりがいのある仕事だし、『目から鱗』の瞬間に学生の瞳が輝くのを見るのは楽しい。
でも近年は、(略)私が壊せる先入観さえ持っていないほど、前知識がない学生も散見されるようになってきた」
(東京新聞、2026.9.12、強調は坂内)
いや、
僕の場合、20年前からずっとそう(↑)でしたって(笑)
「散見」じゃなくって、基本そうですって。
大学ではなく、高校の教室だけど。
当然、僕の張り切りは空回りした。
と思うといきなり「イスラム国」なんてのが登場し、
残虐で、理解しがたい行為が知られ渡った。
「イスラム・国」なんて名乗っているのだから、
「イスラムの国ってまじこええよなあ」
としか日本の市井の人々は思わない。
僕が、「いや、だから」とか考えている間に
しかしすぐ忘れ去られていった。
と思うといきなり、
イスラム国やアルカイダに影響を受けたという人々が
パリやロンドンで無差別殺人テロを起こす事件が何件も発生し、
「うっわ、何なの一体?怖いんですけど」
という印象をまき散らし、
そしてすぐに忘れ去られていった。
そして9.11の、記念すべき(?)25周年。
あれほど昔僕を揺さぶった事件なのに、
僕は、
思うことがなくなってしまった。
時代が、
僕の人生みたいなものが、
変わりすぎてしまった。
僕にイスラムとか、天下国家を語る資格はもうない。
これは「風化」なのかもしれない。
でもそれでいいのかもしれない。
きっとそうだ。
でも何かは残った。
というか染みついた。
なんだろう。
「イスラムが悪い」
「アメリカが悪い」
「ブッシュ(※25年前のアメリカ大統領)が悪い」
「原因は石油だ」
そういう、物事の原因の簡単な突き詰め方をするべきではない、というメンタルだろうか。
それは、普段の生活の中から身についたものかもしれない。
一方で、戦争は悪い。
無差別殺人は許されるべきではない。
その両サイドをつなぐ知性。
次の世代は、偉そうなことをいってなんだが、それを作り上げていってほしい。
そう願う。




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