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「未来を担う子どもたちにどのようなことを伝えたいですか?」という質問が、僕には怖く感じる。

信念



美しい言葉だ。




でもこれほど恐ろしいものもない。






宗教の信念



民主主義の信念



平和主義の信念



伝統護持の信念





男女や家族かくあるべきという信念




アートや音楽はかくあるべきという信念




教育/勉強/学びかくあるべきという信念





残念ながら



どれも諍いの種だ。








意見が多様なことが問題なのではない。





僕も「信念」を強く持つ人を何人か見てきたが、



そういう人と意見が違うと、



話が通じなくなるのだ。



おうおうにして。






こちらは話をするつもりなのに、



先方を理知的な人だと思っていたのに、



いきなりシャッターがガシャンと下りる感じ。






そして先方は激高し、



僕に



人格否定と呪い



の言葉を浴びせた。






うぶな僕はなす術を知らず



言葉を失い、



「論破」された形になった。





しかし「論破」されても



もやもやは残り、



決して納得などできていなかった。





僕は悲しく思い、



やがてその人への信頼を失っていった。








まあ、



僕が加害者だったこともあるに違いない。







子どもに教育をする人は、



この信念による争いまみれで問題山積みの世界をよくしていくことを子どもたちに望むのなら、いや、「変えていく」なんて大それたことを望まないまでもそこでタフに生きてほしいと願うのなら、



「信念」よりも、



「冷静なもの(現実)の見方・考え方」みたいなもの、を子どもに伝えていくべきだと思う。




これも信念か。








信念を全否定はしない。




信念をもって子どもをしつけること



信念をもって自分を律すること



生徒に熱く信念を語ること



語らなくても信念を行動で示すこと




どれもあっていいと思う。






自分にも



良きにせよ悪しきにせよ



何か「信念」があるんだろう。







でも、



自分のもつ信念が、




本当に正しいものなのか



非合理なことはないのか



押しつけではないのか



リアルのつもりで実は「信念」「思い込み」を語っているのではないのか



えらっそうなことを言っている自分の生き様はどうなのか





いつも顧みていたい。


スナップエンドウ、グリーンピース、ソラマメ・・・お豆の季節になりました!

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