「楽しさ」
- orangejuku
- 1 日前
- 読了時間: 3分
知り合いの個人塾長(地方在住)が、
「中学校の部活なんて、これからは『ゆるふわ』『楽しく週2日』とかでいいじゃん」
と言っていた。
少子化で、部活というものが
曲がり角
にきている、という話題の中で。
一理あると思った。
部活で全力を尽くして何かを得て欲しい、というのは
僕も含む年配者の思いかもしれないけれど、
熱心すぎる指導の弊害はしばしば問題になるし、
教員の働き過ぎの問題もあるし、
すべての子どもにそれがハマるとは限らないし、
そうこうしているうちにこの少子化、
数少ない部員すらそれで失っているかもしれない。
その塾長先生は言った。
これも目的次第であって、強豪校ならガンガンやればいいけど、
そうじゃなければ「楽しく親しもう」でいいんじゃないか、と。
塾も同じで、
難関校を目指すなら週5,6日ガンガン拘束でもすればいいが、
そうでなければ何も・・・とも。
一理も二理もあると思った。
ただ、
個人的にはだけど、
やはり「部活」って貴重なんだけどな・・・と思った。
僕も昔いくつか部活の顧問をしたことがある。
僕自身が顧問としてハマった部活(高校)もあって、
弱小の文化部だったけどなんか燃えて一生懸命やって、
楽しかった。
ふと、
昔バンドをやっていたときを思い出した。
「どうせプロを目指すわけじゃないんだし、楽しくやりましょうよ」
とメンバーたちは言った。
まっとうな話だと思った。
「楽しさ」は一番の価値だ。
そういった理屈を裏返せば、
「目的が『難関校』『全国大会』『世界』『プロ』ならば、週5日6日どころかすべてを捧げ、『スパルタ指導』『鬼管理』のもと頑張るのが当然であろう」
ということになる。
僕はそういう世界にいたことがないし、
正直なじめないが、理屈としてわかる。
①高みを目指してガンガンやる。
②高みは目指さないからユルく「楽しく」やる。
どちらかに振り切れれば、ある意味楽だ。
それに強い(特に①は)。
僕は明らかに②サイドの人間だ。
それはわきまえている。
でも、
そこが僕の天邪鬼な(バカな、といってもいい)ところだが、
「気楽にやればいいっすよー」
というのがどうしても、心中でなじめない。
昔から。
だって、
「やれる範囲で気楽にやりゃーいいよ」って決めてしまったら、いくらでもレベル下がるではないか。
練習なんて休みまくり
サボりまくりだ。
終わった後の飲み会ばかりが楽しみ・・・
それで何か得るものあるのか。
それ、「楽しい」のか?
(飲み会もそのうち集まらなくなるのがオチだ。)
「高み」を目指すわけでもないのに、
能力が高いわけでもないのに、
僕が担当するからには
関わるからには
やっぱ何か頑張りたい(楽しみもしたい・・・)、
頑張って欲しい、って思っちゃうんですよね。
それで、どこかに道はないか模索してしまう。
贅沢なのかもしれないけど。
さあ、今週も残り頑張ろう!

夏野菜
実りの季節がやってきました。



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