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【勉強方法論】これは譲れない。

昔々、



島根県の田舎に育った故・水木しげるは、



沖合で海に投げ込まれる



という方法で「ガキ大将」たちから泳ぎ方を教わったと書いています





「沈むと、死なすわけにはいかないから助けてくれるが、また海に投げ込まれる。これを何回もくりかえすのだ」


「五、六回目のことだった。ザッブーンとボートをひっくりかえし、海にはじき出されるや、苦しまぎれに必死で手足を動かした。すると、なんだか空にあがったような気持ちになった」


「そのときはじめてオレは泳げたのだった。そのつぎからはもう完全にひとりで泳げたのだから、ガキ大将の教育の力もたいしたものだ」


(『のんのんばあとオレ』、1990)



「なんと野蛮な」と思われるかもしれませんが、



僕の好きなくだりです。










さて、先生、とくに塾の先生は、



「どう勉強したらいいですか」



「何を勉強したらいいですか」



と訊かれることが多いと思います。






まあ、当然の質問ではあります。







そこで先生たちは、善意を発揮し、



例えば、



「ノートに書く勉強は意味がないぞ。手が疲れるだけ。やった気になるだけ。ノートまとめなんか今すぐやめろ。一問一答の問題をやれ。アウトプットに力を入れろ」



とか



「ワークは3周はやれ」



とか、いろいろと方法論を説きます。





また、何をやったらいいかわからないという不安定な状態を作らないために



問題がどっさり満載のプリントを用意します。



これで生徒は喜び、不安は解消します(が、思考停止ともいえます)。







しかし、



「ノートに書く」



というテスト勉強は本当にダメなのでしょうか?





僕は基本的に、そうやって(ノートに書いて)勉強していたと思います。



ノートではなく、ちらしの裏とかでしたが。



丸写しではなく、自分でまとめ直したりしながらでしたが。



手で写すことで体に刻み込んだり、書いてみることで情報が整理できたり



そういう効果が「ノートまとめ」にあるとはいえないでしょうか。



ree


これまで勉強してこなかった子がいたとします。



「よし、勉強しよう」



と一念発起して、ノートに書き書きし始めたとき、




それを否定して、



「ベストな方法はこうだよ✨」



とか「教え」るのが、いいことなのでしょうか?





せっかく始めたのに先生になんかケチつけられた・・・



「こうしろ!」って言われたけど、よくわからない・・・




もしかしたらその後、自分で改善していく可能性だってあったかもしれないのに・・・





一方で、ノートまとめなど一切しないで、成績のいい子もいるでしょう。







僕は、音楽を聴きながら勉強したり仕事したりが絶対にできません。


(単純作業は別です。)



多くの教育者も、「ながら勉強」を否定すると思います。




でも、



私ごとですが、僕の息子も娘も、音楽を聴きながらの勉強は平気だと言います。



それでそこそこ実際に勉強は理解できているようです。



そう主張されると僕は何も言えません。







結局、勉強のやり方は、人それぞれだし



人それぞれに築くべきだなんです。



これは譲れません。







自分の手足でじたばたあがいて得た方法論や、理解した知識のほうが、



なんでもかんでも先生に先回りされお膳立てされて詰め込まれた知識よりも



健全であり、強靱であると僕は思うのですが、



どうでしょう?

 
 
 

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