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お父さんの後ろ姿。

昔、確か職場に



確か「綴方運動」の作文集のような分厚い本があったのを



パラパラ読んだことがある。







綴方(つづりかた)運動。



昭和初期や戦後すぐ、全国(特に地方の農村部)の小学校でさかんになった教育実践で、



子どもたちにリアルな生活の様子を書かせ(たものが多く)、自己表現の場を与えた、



みたいなものでしたね。






パラパラ読んだだけだったが、



その中に印象に残っている作文が一つある。









ぼくのお父さんは「さいもんよみ」だ、



という内容の作文だった。







さいもんよみ、



すなわち「祭文読み(誦み?)」





民間信仰のお祓いや祝言・祝詞なんかを唱え、



お礼(お布施?)をもらい、



生計を立てていた人のようだった。




時代は戦後すぐ。



そんな職業も昔はあったんですね。







でも生計を立てるというよりは、



「糊口を凌ぐ」という感じにみえた。



おそらく極貧のようだった。






でもその子(作者)のお父さんは無頓着なようだった。



無為といってもよさそうだった。







その子は



お父さんは畑(農業)をやらない、なんでやらないんだろう



などと書く。






もちろんお父さんに対してだから、



批判がましくではないけれど、




戸惑っている。




それを子どもらしく、正直に書いていた。








最後には



「さいもんよみはもうやっていけないとおもう」



と書く。




悲しいかなこれからの時代に。









なんでかわからないが、やけに心に残った。




思い出すとき、



他人事と思えない自分がいる。





変化・進化の激しいこの時代、



僕は「さいもんよみ」になってはいないだろうか。



昔々手に入れたちっぽけな知識を元手に・・・。






それとも、



もしかしてだけども、



そのお父さんは、



最後の「祭文読み」として、覚悟の上で、誇りをもって人生を送り、死んでいったのかな。


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