怒ったら終わり(※あくまでも僕の場合)
- orangejuku
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あるお坊さんが書いた、
『もう、怒らない』という本を買ってむさぼり読んだのはもう十何年前だろう・・・
最近、
怒らなく(怒れなく)なりました。
聖人君子ぶりたいわけではありません(苦笑)。
今でもしょっちゅう「怒り」の気持ちはわきます。
主に、真剣にやろうとしていないことが原因です。
でも、
それゆえに声を荒げたり、
説教したりしてしまって、
なんのプラスにもならないどころかマイナス
という経験を毎回毎回毎回毎回して、
次第に怒れなくなりました。
怒る→反発・・・
怒る→気まず~い空気・・・
怒る→右から左・・・
怒る→萎縮・・・
怒る→パニック・・・
怒る→なんらの行動変容なし。
僕の場合、
「怒ったら終わり」
と思わざるをえなくなっていきました。
僕の場合です。
若いときから、
「怒る」センスがなかったんです。
若くてもまっすぐにびしっと怒って、子どもたちを正すことができる「怖い先生」は、
僕もたくさん見てきました。
「いい先生」は、大体「怖い先生」ですよね。
本当にうらやましくて、
真似しようとしたり(→大体失敗)、
他の策を考えたりしてきました。
この年になってやっと、
塾という中での、
自分なりの方法を見つけたかな・・・。
僕が最終的に譲れないのは
「真剣にやらないことは許せない」
の一点。
人が真剣に考えるのは、逃げられぬ困難に直面したとき。
だから困難(それも理不尽ではなくて、納得して受け入れられる「困難」)を与えること。
そこに怒声や説教は必要ない。
今はその方策をひたすら考えます。
そればかり考えているといっても過言ではありません。
いや、それはウソだな。「楽しい授業」にすることも考えています!

最近声を荒げたのは、
ある小学生男子が調子に乗って、年下の女子に「中指」を突き立てるサインをしたときかな(本人いわく、「にらんできた」とかなんとか)。
「何やってんだ。バカか!」
と一喝しました。
ややあってから、「あれは人にはやってはいけない」「謝れ」と言ったら、
苦笑いして、即座にその女の子に「ごめんね」と謝ってくれました。



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