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写経。

今日もあの子やあの子は



僕の知らない日本中のたくさんの子たちは



学校、あるいは塾の授業で、板書をただノートに書いているんだろうなあ。





写経のごとく



いや、写経ほどの気持ちも込めずに。






この現状を考えると、焦る。



危機感が募る。







書き写したあとに



「じゃ、この28-xっていうのはどういうこと?」



と訊かれても答えられやしない。







誰のせいでもない。




強いて言えば本人のせいだが、



その彼/彼女も、



わからないことばかりの授業時間、やることがないからそうやってせめて手を動かすようになったんだろうから。








「ノートをとるな。聴け」



と命じるという手もある。



そのようにされている先生もいるらしい。






ただ、僕は、一律に「ノート禁止」とするのも気がひける。



ちゃんと聴きながら、理解しながらノートをとっている子もいるだろうから。






「聴け」



「目で聴け」



「この意味を言ってみろ」



ということを徹底していくしかない。









「落書きの教科書と 外ばかり見てる俺」



なんて歌があったなあ(尾崎豊「十五の夜」)。





授業を聴いていない時間が、



そんな風に思索の時間になればまだマシだ。



(いや、ダメですけど。)






耐えがたく感じるのは、



彼ら/彼女らが将来大人になったとき



会議とか仕事の場にあって、



「ただそこに座って、考えも発言もしないで、時間がすぎるのをボケーッと待ってればOK」



という、おとなしいけど無気力なメンタルの人間になるんじゃないかということ。






失礼ながらそういう人たちを、たくさん見てきたから。




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