【塾屋として】この言葉を言ったら負け。
- orangejuku
- 2 日前
- 読了時間: 2分
未来ある子どもたちを教えていると、
「お前そんなんだとこの先・・・」
と、つい言いたくなる。
実際に、気がかりになる。
変化・進化の激しい、これからの世の中
のほほんとしたメンタルではサバイブできないぞ!!!!!
と、ヒリヒリした気分になる。
が、
そういうこと、すなわち
「世の中はなあ・・・」とか
「これからの世の中はなあ・・・」
という類いの言葉を、授業中に、生徒のモチベーションアップとかのために言ったら、それは
「教師として負け」
と僕は肝に銘じている。
理由の一つは、
たかが塾講師、
自分の少ない経験にもとづいて天下国家や、これからの世の中を語るなど思い上がりでしょ?!
と思うからだ。
多くの教師は、「努力を継続することが大事」と説く。
でも、もしかしたら(例えばだが)
休み休みがいいのかもしれないし、
努力なんて天賦の才にかなわないのかもしれない。
「人生はそんな甘いもんじゃない」ですか?
いや、「人生なんて甘いもの」かもしれないではないか。
ましてや変化・進化の激しい時代だ。
僕らの価値観は、
どうしたって何十年も前のものを引きずっている。
僕は東南アジアの経済の発展もアメリカの分断も肌で知らないし、
富裕層の暮らしも、一日2ドル以下で暮らす人の現状も知らない。
そんな人間のほざく「これからの世の中はなぁ」というお説教は、一言で言えば
100%老害
だと僕は、あくまでも自分に対して、思っている。
もう一つの理由は、
もし生徒を真剣に勉強に向き合わすために「モチベーショントーク」をやっているのなら、
それは授業(や「場」)そのもののおもしろさまたは真剣さで勝負していないと思うから。
自分の授業を聴かすために
「世の中」だの「これからの世の中」あるいは「受験」だのの
威を借りている行為だと思うから。
「いや、信念をもって、これからの世の中どう生きるべきか、教えているんだ!」ですか?
まあ、いいんですけど。
若者は大人を乗り越えて育つものだ。
子どもたちに「うるせー大人だ」と思われること、
あるいは反面教師になることが、
大人の役目だ
という覚悟なら、それもすばらしいと思う(皮肉ではない)。
でも、本当にそれ、信念ですか?
たいてい
自分の言う通りにならない生徒にいらだち、自分の話を聴かすために言っていませんか?
と、僕は自分に対して思ってきて、今に至ります。



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