「AIかなんかが作った宿題」だと?
- orangejuku
- 7月24日
- 読了時間: 2分
僕は、宿題をまず出さない派、です。
中高教員(社会科)をしていたときから、
いま(英語・数学)にいたるまで、そうです。
夏休みの風物詩(?)である
「夏休みの宿題」というのがまるきりなくなるのも急激すぎるから
そこまでしろとは思わないですが、
それ以上の負荷は求めたくないです。
10年ほど前、神奈川県在住の親戚の子が中学生だったころ、
お盆休みにも
塾からの大量の宿題が出されて
げんなりしているのを見て、かわいそうに思ったものです。
まだ僕が中学に勤めていたころです。
こんなたくさんの課題(×生徒数)、チェックできるのか?
サボる子は、どうするのか?
間違ったところを、やり直しとかできるのか?(量的に)
ただの形式主義+根性主義じゃないのか?
そう思ったものです。(課題をサボるand/or手を抜く生徒たちへの対応に追われる学校現場の感覚から!)
関西地方の知り合いの塾長が、
「近くの中学校の3年生の夏休みの宿題が、1日35問→45問に増えた」、
かわいそうだと嘆いていました。
難しい問題もたくさん混ざっているそうです。
中3にもなると学力の差も相当開いているだろうに、
みな一律に、
だそうです。
しかもその塾長が見た感じ、
「AIかなんかで作って、エクセルかなんかでテンション上がってやってるとしか思えない」
だそうです。
本当だろうか?
でもそれ(AIで問題をつくること)はもはや珍しいことではなくなってきました。
AIを用いて大人の側は涼しい顔して無限に問題を作って与える。
子どもの方は、それをアナログで、鉛筆と紙で解けと言われる。
これは奴隷制度じゃないのかよ?
と、うっかり独り言ちてしまった夏の朝でした。
さあ、今日もがんばろう!

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