「やり方を教えて」は、「答えを教えて」と同じ。
- orangejuku
- 2024年12月19日
- 読了時間: 2分
例えば、こんな問題☟があります。
体積を求めなさい、と。

さあ、困っちゃっている子(たち)がいます。
「わかりません」と聞きにくることもあります。
そんな子に、
どうやって求めようかね?
なんかアイデアはないかね?
と僕は聞きます。
促します。
するとそんな子(たち)は大体、
4×5×4・・・
とかと数字を繰り出し始めます。
ちょっと待った!
数字は最後でいい。
どうでも、いい。
ぼくは「方法」を聞いたよ。
がんばって言葉で説明してみようか。
「・・・(??)」
方法というか、
やり方というか、
プランというか。
これとこれをこうやって、そのあとにこうすればいい、みたいな。
例えば、「この三角形とこの三角形を足す」、とか。
プランが立ってからじゃないと、
ただのあてずっぽうでしょ?
さあ、どういうプランで行こうか?
「・・・」
じゃあ、プランが立ったら教えてくれる?
(以下略)
面倒くさい教師ですねー(苦笑)。
やり方がわからない、と言ってるんだから
やり方を教えてやりゃいいのに、
と思われるかもしれません。
でもね、
ここで
「ほら、この底面積はこの三角形とこの三角形を足したやつになってるじゃん?ここが底辺でここが高さで。底辺×高さ÷2、これを2つやるでしょ?で、それを足すでしょ?そう、それで最後に高さをかければいいよね」
とかって僕が懇切ていねーいに説明しても、
いや、説明してしまったら、
僕の負けです。
その子は理解なんかしないんです。
決して。
目を見ていればわかります。
僕の「説明」は右から左になめらかに通り過ぎていき、
その子は「ふう、一問片付いた」
と思うだけ。
往々にして、
「やり方を教えてください」
という質問は、
「答えを教えてください」
と同じです。
生徒にもよるし場合にもよりますが。
それを許さない。
根気の要る指導です。
でも、それが生命線だと僕は思います。



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