「得意な人は、苦手な人の気持ちがわからない」てなりがちですよね・・・。
- orangejuku
- 2月17日
- 読了時間: 3分
こんな記事をネットで見つけました(☟)。
(「体育大嫌い」エッセーに共感◆ヒャダインさん訴え、大学で教材に)
「体育教育」という月刊誌(体育の先生用の専門誌)の巻頭に、
音楽家のヒャダインさんが書いた
「僕は体育の授業が大嫌いです。体育の教師も大嫌いです」
と始まる超刺激的なエッセイが掲載され
話題を呼んでいるとのこと。
実はこれは2019年3月号、とだいぶ前のものなのですが
昨年末Xで紹介され
また共感が広がっているとか。
ヒャダインさんが体育が大の苦手だったと言っているのは
僕もテレビで見たことがありました。
全文が画像で紹介されていますが、
確かに全編挑戦的そのもの。
体育教師が反論として言いそうなことに再反論する形で
体育の授業の辛さや
教師側の無理解を厳しく批判し、
最後には
「この号は『運動が苦手な子どもが輝く授業をつくろう』なんて特集のようですが、それは常日頃、『運動が得意な子は輝いている』と思ってるってことですよね?上から目線の差別意識丸出しじゃないですか?」
と切り捨てています。
いやー
僕も体育超苦手だったなあ(涙)。
「運動が苦手」
というのは、勉強が苦手なことよりも遥かにぶざまであり、
自分の中にとてつもない弱みを抱えているような気にさせられたものです。
僕が学校時代の記憶があまりないのは
ひょっとしたらそのせいかも。
体育だけでなく、
音楽も、図工も、家庭科も、ややもすれば算数も理科も
苦手でしたが・・・。
だからヒャダインさんが書かれていることはすごく共感できます。
一方で思うのです。
『努力して上手になればいいだろう!』
『そんなん努力のうちに入らない!』
☝ヒャダインさんのエッセイ中の、
体育教師の言いそうな言葉。
これ、
塾の先生も(つまり僕も)めっちゃ言いそうな言葉だ!!
やろうと思えばできるんだ
とか
そんなんじゃ世の荒波の中生きていけんぞ!
とか
大谷選手がどれだけストイックな生活を送ってるか知ってるか?
とか、ご高説を交えつつ。
ヒャダインさんはインタビューの方で
「人間は、自分が得意なことができない人のことを責めがちだと思うんです」
と喝破しています。
たまたまちょっと
こちらは英語だー数学だーの勉強ができるというだけで
苦手な子への想像力も配慮もなくす。
これ本当に注意しないといけないなと思いました。
最後にもう一つ。
嫌で嫌でたまらなかった体育ですが、
高校くらいから
「長距離走なら割といけるじゃん」
ということを発見し、
それが登山やマラソン(今はやっていませんが)などの趣味につながりました。
嫌で嫌で嫌でたまらなかった音楽ですが、
これも中学の終わりくらいから
授業と関係なく好きになり
僕にとって、生涯なくてはならないものになりました。
人の可能性なんて自分でもわかりません。
タイミング次第で
花開くかもしれませんよ♪




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