「必要性」は能動的なものでなければならない。
- orangejuku
- 2 日前
- 読了時間: 2分
まだ僕が塾を開業したばかりのころ
勉強にとても苦労する中学生に
僕はいらだって説教なんかしたこともあります。
恥ずかしい話です。
「『手帳』をもらっている」と伺った気がします。
そんなその子、正負の計算がいつまで経ってもできず
やっとできたか?と思ったら
文字式の計算がいつまで経ってもできず。
僕はいらだちを隠しきれず、
「これやったら次これ、というふうに手順通りに正確にできなかったら将来危なっかしくて仕事なんかさせてもらえないだろ?その訓練なんだよ」
とか説教しました。
そのお説教が心に届くことはまったくなく、
その子は休むことが多くなり、
やめてしまいました。
ああ
恥ずかしく申し訳ない気分です。
何が「将来」だか。
勉強しない子
やる気を出さない子について
「『必要性』を感じないから勉強したり覚えたりしようとしないのだろう。でもそれは子どもが無知だからだ。現実社会は甘くないのだ。社会を知っている大人は、子どもに『必要性』をちゃんと説明しなければならない」
というような言説をときに目にします。
それ、辛いな・・・

仮に正しい「必要性」でも、
人に説かれた時点でそれは「強制」「義務」になってしまって、
人を動かせたとしても、歪みが生まれるのではないでしょうか。
子ども相手に「必要性」を説いて「勉強せよ」「覚えろ」と迫るのは、
野暮
と今は肝に銘じています。
小学生には絶対しないし、
中学生にも、ゼロではないけれど、しないな。
僕が超絶口下手だからではあるけれど。



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