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「覚えること」を避けて通ることはできない。

小学校の勉強と、中学校以降の勉強では



「一生懸命覚える必要がある」



かどうかの違いがあると思います。






小学校までは、九九などはありますが、



基本的には「暗記せよ」と言われることはなく、



授業を聴き、漢字の書き取りや算数のドリルを一生懸命やること以上は求められないでしょう。







中学以上になると、



英単語や理科・社会の知識など、暗記を求められることが増えます。




授業をちゃんと聴くのは大前提として、



その内容を復習し、



リストを手に、細かいことを自分で暗記していかなければなりません。



(教科による程度や特徴の違いはあります。数学は、暗記の要素は少ないでしょう。僕は「数学(算数)では理屈で説明できないものは一つもない」とよく生徒に言っています。)







ドラえもんの「暗記パン」のごとく



力業で覚えようとするのは確かに辛いことです。




「理屈」「理由」あるいは「物語」といっしょに勉強すれば、



それはだいぶラクに、楽しくなります。






とはいえ、最終的には



いろいろな名前を覚えないわけにはいきません。





「なんで享保の改革をやったのは『徳川家康』じゃなくて『徳川吉宗』なんだよ💢」



「なんで染色体を染めるのは『BTB溶液』じゃなくて『酢酸カーミン(または酢酸オルセイン』なんだよ💢」



と文句を言ってもどうにもなりません。








そんな、いろいろなことを暗記しなければならない学校の勉強に対して、



「無味乾燥な暗記中心の学校教育はもう時代遅れだ」



みたいにおっしゃる方、いますよね。









でも、現実、世界はそれ(覚えなければいけない対象であるたくさんの事柄)で動いているんです。



自然界は、それで動いているんです。




この世界には私たちに見えない小さな世界、私たちが直感で把握できない大きな世界があり、たくさんの元素があり、それらが複雑に反応し合い、組み合わさってたくさんの物質ができ、また反応し合い、生命ができ、人体や生態系や気象や宇宙を動かしていて、私たちはそれらをコツコツと何千年も研究し、膨大な知識を体系化し、必死に次の世代に伝え、進歩してきたのです。


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(おおげさな写真をつけてしまった・・・)




学校で習う知識は、そんな深遠な学問の、ほんの入り口みたいなところにすぎません。





それを「無味乾燥な暗記」だなんて、



自然界の真理



先人の営み



を考えたとき、謙虚さが足りないんじゃないだろうか・・・。







話がおおげさになってしまいましたが、




僕ら教師の姿勢は、自信をもって、



大事なことは、ちゃんと覚えなければならない



覚えさせなければならない



でなければならないと思います。





その姿勢というか、覚悟が必要なんだと思います。





最後もおおげさな言葉になってしまいました。




乱筆乱文どうかご容赦を💦

 
 
 

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