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「言語化」という言葉(への抵抗感)。

「言語化」という言葉



やたらに流行っているような気がするが(もう流行りもすぎたかもしれない)




この言葉をやたら発する人がいると、僕は警戒感を抱く。





「○分でわかりやすく解説します」



「○分でわかる××」



そんな書籍やYouTubeもあふれている。







でも、




なぜイラン情勢がこのように混迷しているのか



どんな食べ物を食べれば癌にかからないのか



近年の異常気象はなぜ起こっているのか



モーターはどういう仕組みなのか




どうすれば成績が上がるか





・・・



実際には、どれも簡単に「わかりやすく」A→B→Cなんて説明できるはずがないと思う。





自然界、人間界には



「森羅万象」ともよばれる数限りない要因があって、



それらが関係し合うプロセスが数限りなくあって、



ポンと一つの結果が生み出されるのだと思う。






よく、学者(とくに理系の科学者)は



はっきりこれが原因だとか、結果はこうなるとか、



断言したがらないというではないか。








それなのに



「つまるところ原因は3000年続く宗教対立だ」



「結局は石油だ」



「神の御業だ」



「○○を摂取すれば体内の○×が整って健康になる」



「この問題集をやれば成績が上がる」




そんなちょー簡単な理屈を説く人は、




たぶん詐○師だ。







人は、生きていく上で迅速に選択・行動していかなければならないことも確かだ。



だからだろう、



そういう「明快な」理屈を求めるのも、人の性ではある。






いわゆる陰謀論にハマっている人は、



「調べてみたら、○○だということを知った」



「○○だということを知って、すごく腑に落ちた」



とかよく言う。






どれだけ調べたのか、勉強したのか知らないが、



絶対そんな単純じゃないんだってば。








「人を動かすには『物語』が一番だ」



「何かを売るためには『ストーリー』が効果的だ」



そんな言説も最近よく聞く。







「物語」なんていうと、



子どもに読ませたりおはなししたりする絵本のような素敵なイメージだが、




これは、人を「操る」「支配する」「奪う」ことにつながる



そういう力を持っている。









だからこそ、



「言葉」「物語」「文章」にあまりにふれていない一部の子どもたちを見ると



不安になる。





知っている言葉が少ない。



読むのも話すのも、理屈が支離滅裂。



それは、なんとかしなければと思う。






言葉にたくさんふれさせる。



言葉を正しく使わせる。



文章をちゃんと読み取り、理屈をもって話したり書いたりさせる。



そういうことを、もっとしっかりやっていかなければ。






本当に大事なものは、「言葉」じゃない。



みんながペラペラ喋りが上手だったり



難しい文章を操るようにならなくてもいいけど、




言葉について、もっと鍛えていきたい。






言葉を上手に操る人(たち)に、



流されたり、操られたり、奪われたり



しないために。



 
 
 

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