「言語化」という言葉(への抵抗感)。
- orangejuku
- 6 時間前
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「言語化」という言葉
やたらに流行っているような気がするが(もう流行りもすぎたかもしれない)
この言葉をやたら発する人がいると、僕は警戒感を抱く。
「○分でわかりやすく解説します」
「○分でわかる××」
そんな書籍やYouTubeもあふれている。
でも、
なぜイラン情勢がこのように混迷しているのか
どんな食べ物を食べれば癌にかからないのか
近年の異常気象はなぜ起こっているのか
モーターはどういう仕組みなのか
どうすれば成績が上がるか
・・・
実際には、どれも簡単に「わかりやすく」A→B→Cなんて説明できるはずがないと思う。
自然界、人間界には
「森羅万象」ともよばれる数限りない要因があって、
それらが関係し合うプロセスが数限りなくあって、
ポンと一つの結果が生み出されるのだと思う。
よく、学者(とくに理系の科学者)は
はっきりこれが原因だとか、結果はこうなるとか、
断言したがらないというではないか。
それなのに
「つまるところ原因は3000年続く宗教対立だ」
「結局は石油だ」
「神の御業だ」
「○○を摂取すれば体内の○×が整って健康になる」
「この問題集をやれば成績が上がる」
そんなちょー簡単な理屈を説く人は、
たぶん詐○師だ。
人は、生きていく上で迅速に選択・行動していかなければならないことも確かだ。
だからだろう、
そういう「明快な」理屈を求めるのも、人の性ではある。
いわゆる陰謀論にハマっている人は、
「調べてみたら、○○だということを知った」
「○○だということを知って、すごく腑に落ちた」
とかよく言う。
どれだけ調べたのか、勉強したのか知らないが、
絶対そんな単純じゃないんだってば。
「人を動かすには『物語』が一番だ」
「何かを売るためには『ストーリー』が効果的だ」
そんな言説も最近よく聞く。
「物語」なんていうと、
子どもに読ませたりおはなししたりする絵本のような素敵なイメージだが、
これは、人を「操る」「支配する」「奪う」ことにつながる
そういう力を持っている。
だからこそ、
「言葉」「物語」「文章」にあまりにふれていない一部の子どもたちを見ると
不安になる。
知っている言葉が少ない。
読むのも話すのも、理屈が支離滅裂。
それは、なんとかしなければと思う。
言葉にたくさんふれさせる。
言葉を正しく使わせる。
文章をちゃんと読み取り、理屈をもって話したり書いたりさせる。
そういうことを、もっとしっかりやっていかなければ。
本当に大事なものは、「言葉」じゃない。
みんながペラペラ喋りが上手だったり
難しい文章を操るようにならなくてもいいけど、
言葉について、もっと鍛えていきたい。
言葉を上手に操る人(たち)に、
流されたり、操られたり、奪われたり
しないために。




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