【スマホ時代】憧れではなくリアルを。
- orangejuku
- 2 日前
- 読了時間: 2分
かつて、
「○○の人たちはモノはなくてもこんなに素朴に心豊かに暮らしている」
「○○の人たちには私たちがなくした何かがある」
「○○には、伝統的で魅力的な価値観がまだ根付いている」
みたいな憧れ?ロマン?が、
日本社会の、少なくとも一部にはあったと思う。
例えば
大草原に住む人だったり、
南太平洋で暮らす人々だったり
何かの宗教の信仰が生活に根付いている人々だったり
伝統を重んじ「国民総幸福」を打ち出す国だったり
「陽気に」人生を楽しんでいるという「ラテン系の」国々だったり
そういうのを描く本や映画もたくさんあった。
そういう未知の世界への興味が、
「世界の文化を学ぶ」につながっていた気もする。
僕も、「イスラム世界」を学ぶにあたって、
そんな憧れ・興味がベースにあったという自覚がある。
そういうロマン(?)は、スマホ時代になって終わったのかなと思う。
スマホを片手に
ゲーム、SNS、動画にうつつを抜かす姿は
アマゾンの奥地だろうと、アラブの人々だろうと、ブータンだろうと、ナイジェリアだろうとイタリアだろうとスウェーデンだろうと
僕と同じらしいことを僕らは知っている。
老若男女人種民族宗教、学のあるなし、右か左か
何の変わりもない。
スマホ時代になって、
「人間みな同じ」
ということがはっきりしたんじゃないだろうか。

寂しい気もする。
でもまあ、
「世界じゅう同じモノ見て、平板な世界になってしまった」とか
「世界中みんなアホになってしまった」とか
嘆いてもしかたがない。
ロマンに流されずに現実を見なければならない。
何年か前、
かのイスラム国の残虐な支配から解放された「ヤズド教徒」(※)の少女のことが新聞に載っていて
※中東の宗教的マイノリティ。イスラム国は彼らを「異端」「悪魔」とみなし、殺害したり奴隷にしたりした。
心の傷の癒えない彼女だが、
「K-POPを見るのが好き」
と言って笑った、
みたいなことが書いてあった。
おお!BTS、世界を救ってるんじゃん!
と思った。


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