【雑学】三國連太郎は下田高校出身?!
- orangejuku
- 5月14日
- 読了時間: 4分
故・三國連太郎さん(1923-2013、以下敬称略)。
昭和の名俳優として、僕も名前ぐらいは知っています。
名前ぐらいしか知りませんが・・・
今年4月は三國の13回忌だったらしく、
関連記事が僕のスマホにもいくつか流れてきました。
なんの気なしに読んでみたら、
伊豆とか下田とか出てくる。
ちょっと興味をもってネットで調べてみたら、
とwikipediaにはありました(2025.5.14閲覧)。
「豆陽中学」といえば、
現在の静岡県立下田高等学校、のルーツではないか!

(公式サイトより)
知らなかったぞ!
ウェブ上の複数の情報をもとに三國の生い立ちを調べてみたところ、
以下のごとく
伊豆との関係がなかなか深かったことがわかりました!
お読みいただければ幸いです。
それでははじまりはじまり~
(※信ぴょう性については保証できません。ご了承ください。)
・・・・・
三國の母(小泉はんさん)は西伊豆の漁師の家の育ち。
しかし天災で困窮し、一家は離散。
広島県の呉の軍人の家に女中奉公に行きますが、そこで(三國を)妊娠してしまい、クビになってしまいます。
ときに17歳。
故郷に帰る途中の沼津港で、身重のはんさんは具合が悪くなってしまう。
そのときに介抱してくれたのが、電気工事の技術者?として全国を渡り歩いていた佐藤正さん。
佐藤正さんは、はんさんの身の上話を聞き、妻として面倒を見ることを決意(なんという男気!)
そのまま佐藤さんの仕事場の群馬県太田市に2人で行って結婚し、
そこで三國(本名・佐藤政雄)を出産します。
(だから佐藤さんと三國は、血はつながっていません。)
その後家族は、はんさんの故郷の近く、伊豆の西海岸に転居します。
これが松崎なのか土肥(とい、現伊豆市)なのかはっきりわかりません。
佐藤さんがもともとそちらにルーツがあったのか、
仕事場として行ったのかもいまいちはっきりわかりませんが・・・
そして三國は下田の「豆陽学校」、現在の下田高校に進学します!
戦前の中学校は、義務教育である小学校(6年)を終えた子の中で希望する者が、受験して進学する学校(5年制)でした。
お父さん(佐藤さん) が教育熱心だったようです。
家から通える距離ではないから、下田に下宿していたのかなあ。
中学では水泳部に所属して頑張っていたそうです。
しかし学校をサボりがちになった三國は結局、
中学を2年で中退してしまいます。
だから現在の下田高校の「出身」、とはギリ言えるかもしれませんが、「卒業」とは言えないことになりますね。
ときに14歳。
父は許さないだろう、と思った三國は
なんと出奔しました。
それも国外に。
下田の港から船に乗って中国・青島に渡り、ダンスホールのボーイや弁当売りをしながら朝鮮半島を放浪した
というのです。
まごうかたなき密航!
その後帰国して沼津で5歳年上の女性と短い結婚生活を送り、
大阪で様々な仕事に就き、
19歳のときに召集され
兵役を逃れるためにまた大陸に密航しようとしたが今度は捕まり、
静岡の連隊に入って中国に送られ・・・
・・・・・・・・・・・
まさに波乱万丈としか言いようのない話が続きますが、
伊豆に関連する話はここまでになります。
下田に関係が深い、といってもよさそうなものですが
これまで寡聞にも知りませんでした。
やはり、
「まだまだ貧しい時代で、タフに生きていたんだなあ」
という印象が強く残りました。
タフな10代の暮らしで養われたのでしょうか、
軍隊の中でも反骨精神?を貫いた話にも
ちょっと驚かずにはいられなかったです。
(本人談、ではありますが。)
やはりタフさが必要だなあ・・・(超平凡な感想)
塾にも教育にもなんの関係もない記事でしたね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!



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