勉強をする理由
- orangejuku
- 2月28日
- 読了時間: 2分
子どもにいかにスムーズに勉強をしてもらうか
ということは色々な人が論じていますが、
「勉強の意義についてちゃんと説明し、動機付けを行うことが必要だ」
とかといった主張を見ると、
僕はなんか違うと思ってしまいます。
将来の夢とかキャリアとか、
富とか社会的地位とかをからめて
「モチベーショントーク」
をする先生もたくさんいます。
「世の中のことを知っとくことが必要」とか言って。
最近たまたま手に取ったある本にも、こんな風に書いてありました。
「学習は全然楽しいものではない。だが、のちのちの自分の可能性を狭めることにつながるので、騙されたと思ってやっておくしかない。子供たちには、はっきりとそう教えることが必要である。『楽しくないけれど我慢しなさい』と説得することが正しい」
(森博嗣『勉強の価値』、2020)
あのね、
子どもには、
「素直さ」があるんですよ。
小さければ小さいほど。
先生や親やその他大人の教えることは、
聴こうとする本能があるんですよ。
小さければ小さいほど
絶対的に聴いて、従おうとするはずです。
そうでないと、
未熟な子どもは地球上で生きていけないから。
この素直さは、
子どもが大きくなるにつれだんだん薄れてはいきますが、
中学生とかになっても相当残ってはいます。
残ってるんですよ。
そんな素直さを利用して、例えば「聖戦のために死ね」とか「天〇陛下万歳」とか、吹き込んで洗脳してきた営みも人類の歴史には数知れずです。
だから気をつけないといけないとも思います。
勉強をする理由?
僕は有無なんか言わせたことはありません。
強制といえば強制。
あるいは、「知らん」。
「さあね」
「うーん、なんでだろうね・・・」
そんな風に、
悪く言えば煙に巻いてきました。
理屈じゃなく、
醸し出す
楽しいとか役立つかもとか感じてもらう
その努力は欠かしていないつもりです。
細心の注意とリスペクトを払い、謙虚に強制しているつもりです。




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