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勉強をする理由

子どもにいかにスムーズに勉強をしてもらうか



ということは色々な人が論じていますが、




「勉強の意義についてちゃんと説明し、動機付けを行うことが必要だ」



とかといった主張を見ると、








僕はなんか違うと思ってしまいます。






将来の夢とかキャリアとか、



富とか社会的地位とかをからめて



「モチベーショントーク」



をする先生もたくさんいます。




「世の中のことを知っとくことが必要」とか言って。





最近たまたま手に取ったある本にも、こんな風に書いてありました。


「学習は全然楽しいものではない。だが、のちのちの自分の可能性を狭めることにつながるので、騙されたと思ってやっておくしかない。子供たちには、はっきりとそう教えることが必要である。『楽しくないけれど我慢しなさい』と説得することが正しい」

(森博嗣『勉強の価値』、2020









あのね、



子どもには、



「素直さ」があるんですよ。



小さければ小さいほど。






先生や親やその他大人の教えることは、



聴こうとする本能があるんですよ。




小さければ小さいほど



絶対的に聴いて、従おうとするはずです。





そうでないと、



未熟な子どもは地球上で生きていけないから。








この素直さは、



子どもが大きくなるにつれだんだん薄れてはいきますが、



中学生とかになっても相当残ってはいます。



残ってるんですよ。






そんな素直さを利用して、例えば「聖戦のために死ね」とか「天〇陛下万歳」とか、吹き込んで洗脳してきた営みも人類の歴史には数知れずです。


だから気をつけないといけないとも思います。






勉強をする理由?



僕は有無なんか言わせたことはありません。



強制といえば強制。




あるいは、「知らん」。



「さあね」



「うーん、なんでだろうね・・・」



そんな風に、



悪く言えば煙に巻いてきました。






理屈じゃなく、



醸し出す



楽しいとか役立つかもとか感じてもらう



その努力は欠かしていないつもりです。




細心の注意とリスペクトを払い、謙虚に強制しているつもりです。


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