物語を、疑え。
- orangejuku
- 3月23日
- 読了時間: 2分
小説家・朝井リョウさんの最新刊『イン・ザ・メガチャーチ』
まだ読んでいませんが、
その宣伝文句にはこうあります。
ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側――世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を炙り出す。
「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」
話変わって、
ジャーナリストの大治朋子さんによる『人を動かすナラティブ』(毎日新聞出版)には、
「ナラティブこそ現代に跳梁跋扈する『情報兵器』であり、SNSを通じて常に人を操作しようとしている」
という内容のことが書いてあるそうです(「東京新聞」3.17の紹介記事から)。
「ナラティブ」とは、「物語」「言説」「語り」などといった意味です。
人は、世界を単純化して捉えようとします。
常に行動と選択を迫られながら生きているわけですからね。
実際には、物事は、
自然世界も、人間世界も、極めて複雑です。
でも、
「○がね、△したから、こうなった」
という因果関係がはっきりしたきれいな物語を語られると、
腑に落ちて
実にすっきりした気分になります。
そのきれいな「物語」がどれだけ危険なことか。
物語で人は感動したり、
力がわいたり、
団結したり、
いいことだけではなく、
狂信
視野狭窄
思考停止
分断
憎悪
炎上
戦争
まー、様々なことをやってのけてしまいます。
いつの時代でもそうだったのかもしれませんが、
情報に満ちあふれた現代、
その弊害はますます大きくなっているのでしょう。
小学生に国語を教えながら、
三語短文を作らせながら、
僕は
「『お話』をまず作ろう」
「どんな『お話』なのかな」
といつも言っています。
「お話」、つまり「物語」ですね。
子どもたちを、何かのわくにはめようとしているんだろうか、
という自問自答は離れません。
でも、
だからこそ、物語を読む力が必要なのではないだろうか
と思います。
簡単にだまされたり、流されたり、
お先棒担いだりしないために。




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